楽しい日常日誌 ~詩的否私的日常日記 ~

隠れblogにするつもりでしたが、<私的日常日記>にしました。でも、ネットの私的って,一体なんだ!? 
by HIROKO_OZAKI1
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名古屋という地名について

    あゆち
 あゆち潟かつて島なりし街の灯は海鳴りを秘め音聞の山
 やはらかき太古のことば砂ながるる名古屋の由来ネコヤではない (「未来」2014.10.)


 地名は、国名・地方名から田畑、屋敷、それらに基づく居住者集団名や家系の名称まで、各種の内容を含む。これらは、特定の土地を示す固有名詞でありながら、全国共通の普通名詞として扱うこともでき、各地に分布する同一地名を分析することで土地の共通の性格を発見するという方法により成果をあげてきた地名学は、民俗学のみならず、歴史学、言語学など様々な分野からのアプローチが可能であるが、様々な俗説による地名の解釈が多いなど、この分野の研究が、科学的な地名学として確立しているとは言いがたい。

 民俗学の科目テキスト『民俗調査ハンドブック』には、民俗学的な調査法として、固有の土地と結びついたものとしての地名を、地域を限定してその中で現在生きている地名を徹底的に調査し、生業、地形との関連等、生活と風土とを結びつけながら考察していく方法が紹介されている。
 これらは、現在もまた村落として存在している場合に有効であろうと思われるが、村落として存在していた時代の名残として興味深い地名がたくさんありながら、都会化されてそのような方法による調査は既に相当難しくなっており、古文書や古地図のみに頼らなければならない土地もたくさんあるであろう。

 名古屋の地名の由来について、以下に調べたことをまとめたが、私が住んでいる地域周辺にも、現在はどこにでもある小都市として、かつての土地の特徴や面影を残すのは地名のみ、といった場所が多く存在する。これらは、既に上記の民俗学的方法によって、書籍にもまとめられていて、調べながら興味が尽きなかった。たとえば、天白区音聞山は、緑区にある鳴海が海の鳴る音を由来とする大変古い起源を有しており、その音がよく聞こえたため、と伝えられ、古い地名であることが広く知られているが、現代の地図の上では、便利な交通網によって連ねられ地図に記されるのみの存在でしかないのである。
 テキストでは、地名の解釈について、こじつけや漢字にまどわされることなどに注意を要する他、特に地名と結びつけて古代を論じることには慎重でありたい、とされている。現存する地名関連の書にも科学的ではないものが多数散見されるので、注意を要するという点に同感するが、一方、民俗学的調査において、風土記・万葉の時代に遡る古代史、アイヌ語との関り、その他言語学的な知識を援用しながら考察して行くことは、(それらは膨大な量にのぼるので相当困難が伴うことであろうと思われるが)、大切なのではないかと思う。

 地名については、各地に様々な由来が語られ伝えられているが、音韻的法則が凡ての地名の諸事情には当てはまるとは限らない。その例として、名古屋の地名があることがわかったので、『日本地名学』(鏡味完二)の文章をもとに、以下、要点をまとめてみる。

 名古屋の地名の由来については、「名古屋」の語源が、しばしば城下集落的な性格を持つ「根小屋」の訛語であると正史にまで説かれている(1916年編纂「名古屋市史」等)が、地名学上では何の関係もないことが明らかにされている。(『日本地名学』鏡味完二、pp300-306)
 Nekoya(根小屋、根小屋、根古屋、根木屋、根古谷、根古城、城下(ネゴヤ)、根子名
(ネコナ))および Ne・ngisi(根岸)の集落名は、東北日本に多く分布し、その分布地域が完全に一定の地域に局限され、ほとんどがそれ自身でそれぞれの地名の全体を形成する。柳田国男は、根子屋という集落が城下の意味を持っていることについて、『風土記』にその記載があり、根岸(根子屋)は人口の自然増加のために山から下りて来た農民が新しく開拓した地名や、荘園が分裂して多くの小名が、各自に館を構えて兵備を事とする際、家来と農夫とを手近くその下においたことが考えられると述べており、ある武家が占拠した「館の下際地」という意味で根岸、館や殿に対する小屋の意で根子屋と言うとしている。そして、それらが荘園の分裂以後に発生したとすれば、地名はほぼ応仁の乱以後、室町時代中期以降に東北および関東の人口密度に従ったものであるということになる。兵や農民を集めるため、東北と関東とは、西南日本に対比さるべき一大文化地域を形成し、それが地名の分布に名残を止めていると考えられる。
 一方、Nako、Na・ngo 系の地名(名古、名古屋、名護屋、名古谷、名子、奈古、那古、奈古屋、名越、南越、名号、名幸谷、中子、女子、名高、砂、南居、長尾、中尾、長子、長太、中興、長、奈胡、投、永穂、中講、長河等)は、ほとんどが緩斜面や平坦地に名付けられている。この場合、山地での生活に重要な意義を持つそれらの地形なり地積なりが山村では珍重され話されるうち地名となる可能性もあり、地名のままの地形は存在しない例も多いが、地名発生の当初にはその名義を示す事象があったが失われている、原義とは別に地名が伝播していく等も考えられ、たとえば乗鞍火山西斜面の「大名子」という集落は、そこに Na・ngo の方言が現存せず、もっと低地の Na・ngo 集落にも、地形を意味する Na・ngo という方言は存在しないことから、これは地名として時代的に古いものであるとも考えられている。
 Nako(Na・ngo)の語源については諸説あるが、古く万葉語に「なごやか」とある他、沖縄では砂の意があり、Na・nga、Na・ngu などは「長い」「平らな」の意味の名詞として太古から用いられ、Nakoの地名の分布もまた全国的な広がりを持つ。これらは、Yama、Kawa などが歴史時代に新生したものではない可能性を持つのと同様である。また、砂、魚等との関連も指摘されている。

  砂や魚などにまつわる由来についても考察されるべきであると、著者は別の文章でも書いているが、この見方はかなり魅力的である。「きびなご」「こおなご」等、魚の名前に「なご」と付されることがままあることは周知であり、名古屋には地盤がゆるい砂地が多く、歴史上何度も災害に見舞われていることもまた、事実なのである。

 名古屋の北西に位置する清洲には、かつて清洲城があり、天正13年の地震で液状化を起こしたことが、近年の発掘調査によりわかっている。地層の中に、砂が吹き上げた形跡が見られ、その後の家康によるいわゆる「清洲越し」(清洲城下の街をまるごと名古屋大地に移し名古屋城とした)は、頻繁に見舞われる地震対策として行われたという見方が強まっている。そうなると、名古屋市内の「吹上」の地名もまた、そのような意味なのではないかと思われてくる。この「吹上」の地名は、『なごやの町名』(名古屋市、1981)によれば、「風によって砂が吹き上げられる意」と書かれているのだが、吹き上げられるものが砂であるとするなら、これもまた、あるいはそのような意味であるとは考えられないのだろうか。

 「吹く」ものと言えば通常は風であり、愛知の名称のもととなった阿由知、あゆちに通ずるものとして、「あゆの風」といった言い方もあるから、あるいは吹き上げるものは風そのものという考え方も素敵である。柳田国男は、『海上の道』の中で、辞書的には北ないし東の風、とのみある「あゆの風」について、海から海岸に向かって、船を海に運び入れると同時に、さまざまな良きものを渚に吹き寄せる風、と説明する。<あゆ>は、古代以前から人々がごちそうとしていたであろう魚の鮎をも連想させるが、そのような雰囲気を含めた、これらの語に私はとてつもなく惹かれるのである。

音韻による推論から、その語源や歴史の解釈を試みる例は、これらの例に限らず多数あり、そのような着想を得た場合でも、安易に結論付けるのではなく、科学的根拠による検証と事実の吟味を重ねることが重要である。だが、歴史学の上で明らかになってくる事実から新たに様々な推論を立て、誤りに気づいたら正すということを繰り返すことは大切である。
 東日本大震災において、「閖」(ゆりあげ)等の地名の意味するものが忘れ去られていた、ということがよく言われるが、そのことなども教訓として、将来につなげていくこともまた、有意義なのではないかと思うのである。

なお、『なごやの町名』(名古屋市)中には、「那古野」の町名は、平安末期の荘園として「那古野荘」とある他、「那古野(なこの)町」の町名由来として「多くの説があるが確証はない、浪越からナコヤになったとも、この辺りが豊饒の地であったため「饒屋(にぎや)」と呼んだのがナゴヤに変わったともいう」とある。このことは、地名の由来について、伝承を例示する形としては語りやすくても、科学的根拠に基づいた考証がなかなかなされていないことを示していると思われる。そのあとがきには、地名により差別を引き起こしてはならない、といったこともまた述べられており、民俗学全般に通底する問題をも包含していると思う。あるいは、語源が科学的に判断される地名について、なぜこのように事実と違う伝承が主流となっているか、ということもまた、面白い課題として設定することができるのではないだろうか。

【参考文献】
『地名の研究』柳田国男(1936)、『海上の道』柳田国男(1952)
『日本地名学(上)(下)』鏡味完二、(原書房、1981)
「愛知県清洲城下町遺跡における地震痕の発見とその意義」森勇一、鈴木正貴、(「活断層研究 7」1989)
『なごやの町名』名古屋市計画局(角川書店、1991)、ほか。

(この文章は、冒頭の短歌・「あゆち」二首を作った同じ頃に、奈良大学通信課程「民俗学」のレポートとして書いたものに訂正を加えたものです。)
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by hiroko_ozaki1 | 2014-10-06 00:45 | 趣味

環境文学というジャンル

国際ペンクラブの大会というのが9月末、東京で開催されたので、
短歌と俳句の日に、聴講だけさせていただいてきました。
何とも厚みのあるお話に圧倒されながら、この大会にコンセプトと
して掲げられていたのが「環境と文学」で、環境文学(あるいは、
ネイチャー・ライティング)という、割合新しい文学分類上のジャンルが
あることを知りました。

短歌も俳句も、本来、人間も含めた自然と密接な場で詠まれてきた
詩歌なので、あえてネイチャーライティングなどと言うのもいまさらと
いう感じがしますが、実は、まったくそういうつもりではなかったのに、
先日短歌で参加させていただいた詩歌集「小倉山百人一句一集」は、
まさにそれであることに、気付きました。

(以下は資料。出版記念会の集合写真には、私も映っています。)
http://ptogura.web.fc2.com/news_info.html

この詩歌集は、小倉山の環境問題にテーマを特化した、英語と日本語
のバイリンガル詩歌集、参加者は、外国人も日本人います。
日本語で創作された作品も、英語で創作された作品もあり、それぞれ
英語、日本語に翻訳された上、詠まれた場面等の解説がついています。

この本と会議に参加して、環境文学・環境詩とは何かな、と考えてみた
のですが、つまるところ、こういうことなのかなと思います。
でも、文学作品というより、環境美化のスローガンみたいになってしまい
ますね。問題。


環境詩として。

木が切られてしまったら 森に行かないのではなく
新しい木を植えましょう

水が枯れてしまったら それを嘆くのをやめて
水脈がもどるにはどうしたらよいか考えましょう

昔の人々が詩を生みだした場所が壊され汚されたら
もとに戻し美しく保ちましょう

そして、人々が哀しい思いをした場所があるのなら
現代の人々が二度と辛い思いをしないように、
せめて思い出として残していきましょう
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by HIROKO_OZAKI1 | 2010-10-04 08:52 | 趣味

布あそびによる作品二点

作品と言っても、短歌作品でも評論でもないのですが。(ここは短歌のページなのに!)
付け帯二本。左はネパールのパンジャビドレスでつくった夏帯、ドレスの飾りにされていた紐は根付けにしました。
右はバティックでつくった角だし風しゃれ帯。あまりぎれで帯枕もつくり、紐の部分も同じ布できれいに縫いました。オリジナルというか、いいかげんなんですけど売ってもよさそうなくらいかわいいの。どこに着ていこうかな。

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by HIROKO_OZAKI1 | 2005-05-10 08:48 | 趣味


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