月の櫂
2022-11-06T19:14:52+09:00
HIROKO_OZAKI1
詩のグループから名前をひきついだ個人ホームページ「月の櫂」(現在閲覧できません)の作者のブログです
Excite Blog
2022年「題詠100首」、参加しています
http://tsukinokai.exblog.jp/241355932/
2022-11-06T19:14:00+09:00
2022-11-06T19:14:52+09:00
2022-02-05T12:17:05+09:00
HIROKO_OZAKI1
短歌と短歌論
2005年、2015年につづき、三度目の参加です。
2022-01:来 今ここにある現実がかつてひたすら望みたる未来であれば
2022-002:扱 公休の扱ひ多しと噂あり構へて受けるワクチン接種
2022-003:巡 巡回の老警備員前職は何であつたかとふと思ふ夜
2022-004:積 積雪のニュースが告げる週末よその後に来む春を告げつつ
2022-005:時期 時期が来れば何とかなると逃げるうちに時期を逸する他力本願
2022-006:瞳 瞳の奥に住むのはヴェールかむりたる天使かもしれぬ眼底検査
2022-007:数 休日の特急列車の本数を地図に確かめてゐる部屋の中
2022-008:ひたすら 冬空の嫉視もやがて溶けゆかむただひたすらに降り続く雪
2022-009:炊 炊き出しの長き列ある公園の冬を告げ来るニュースの白さ
2022-010:景色 ふと気づく空気の冷えにカーテンを開けば雪虫!舞ふ景色あり
2022-011:他 選択肢「その他」の番号をタップするその先に人の声あると知りつつ
2022-012:軒 途中下車して会ひに行く軒先に巣をかける燕と雛に今年も
2022-013:いっそ 仮名遣ひ誤つたまま残りたる歌もあるらんいつそそのまま
2022-014:近 旅先は近場ばかりとなる日々よ夕陽かがよふ海を恋ひても
2022-015:贈 贈られしもののひとつに「使命」ありその中に「命」あると告げ来る
2022-016:若者 若者の背には大きなリュックあり数学の参考書顔を出しをり
2022-017:代 先祖代々の墓と彫られた石があり誰でもないことに少し安らぐ
2022-018:足 ひとしきり歩いた後の足湯には何故(なにゆゑ)か混浴の木札ありけり
2022-019:諾 諾否問ふ葉書をくれし東京の道には塩化カルシウム撒かれゐるとぞ
2022-020:段階 いまだその段階になき草案の結語そこまで見えかかつても
2022-021:居 部屋に居て全首都圏を降り覆ふ雪を思えば窓の明るさ
2022-022:挑 「窓ゆ」とふ語に挑みつつ揺れてゐる朝の光を眺めてゐたり
2022-023:ロマン 水を汲む少年の絵を恋ひたるはいつの日星座表にはロマン
2022-024:彫 持つ人が持てばさうなり羨しかり彫刻刀から出てくる仏
2022-025:乳 いま鳥が渡つたかしら漆黒の空に流れる乳の道(ミルキイウェイ)を
2022-026:紹介 引越した先の医院に封のされた紹介状を手渡してをり
2022-027:託 健康を生命を託すことができたと外つ国のコロナのニュースありかなしき
2022-028:中央 群れ咲けるナガミノケシの鮮やかさ中央分離帯に見つつ走りき
2022-029:秘 趣味ではないことは最大の秘密にて履歴書の趣味欄に短歌と書けり
2022-030:以 私は私以上でも以下でもない時に「私」は存在せぬのかと悩む
2022-031:あたふた
バレンタインチョコの売り場の混雑にあたふたとエスカレーターにくだる
2022-032:偏 それはもう偏光レンズに透かし見た心のやうに春のあはゆき
2022-033:粗 いつよりか塩分量のみ気になれど鯛に振りたる粗塩は美し
2022-034:惹 えろじいさんのエゴにはさはらずおくと決めるたとへ惹かれた人であつても
2022-035:日常 夜半焼死せしは工場清掃の母たちとありその日常を知り初む
2022-036:醜 醜悪なものは見たくはないされど懸命に視る国会中継
2022-037:述 冬の間(ま)に白くなりたる手の甲を陽に当てながら述懐を聞く
2022-038:襲 虎に襲はれたる飼育職員のごとおそるおそる入る猫カフェ
2022-039:グループ 後遺症なきグループの経験談のみ見ることにせり接種日までを
2022-040:探 探してた本とはどこかが違つてる著者を失くしたその言葉たち
2022-041:江 ○さん江、と書かれた色紙掲げられ大衆食堂の壁はにぎやか
2022-042:懸 降り出した雨は埃に匂ひたつ命懸くるほどの空にはあらず
2022-043:小説 いまだ書きくだされてさへいないのに小説の筋に笑ふ怪しさ
2022-044:把 十把ひとからげにされるのを繰り返しても大丈夫、結局ひとり
2022-045:辿 原典を辿つてゆけば難しき語にも出会ひぬ休日の午後
2022-046:丹 あをによしの「に」は丹であり光明の丹ならむおそらく毒を含んだ
2022-047:矢印 階段の踊り場突き当りの壁に矢印はあり壁に向かひて
2022-048:陶 かつてこの陶器の町に煤の雨降らせた煙突は蔦にからまれ
2022-049:綴 文字のその不思議な線は糸のごとからまりながらわたしを綴る
2022-050:棒 かつて阿部公房を書き写した日小説「棒」は人間を描けり
2022-051:かもめ 甲板に風の贈り物はいちはまたいちはひらりふはりとかもめ
2022-052:茂 あかねさす岡井隆はぬばたまの斉藤茂吉の戦後を綴る
2022-053:映 映画館から出でたれば現身をすこしぬくめて陽の光あり
2022-054:雰囲気 雰囲気を変へるスカーフ首に巻きTPOなる言葉を思ふ
2022-055:閑 物は散らかつてゐるのにこの部屋は一人ゐる時閑散とせり
2022-056:亡 ハロウィーン主役となつた亡霊が練り歩きをり平和な街に
2022-057:憧 折々に訪ねる場所になりにけりかつてひたすら憧れし古都は
2022-058:毒 草花を枯らす海風大丈夫これは塩でも毒ぢやないから
2022-059:出身 国産と書かれて売られゐる鰻その出身は他所かも知れぬ
2022-060:濡 コート濡らさぬためのコートを選びをりたぶん着ることないかもしれず
2022-061:継 おほてらは継がれつがれて生きてをり観光客の戻りし古都に
2022-062:シンデレラ シンデレラ城の写真はきらめきて若者たちの人生言祝ぐ
2022-063:伸 伸びて行く影はそのかたちのもとの誰かの持ち物にあらぬ不思議さ
2022-064::罵 罵詈雑言罵詈雑言とぞ土砂降りの雨は降りをり部屋ごもる夜
2022-065:枚 ライトアップされたる夜の千枚田こはごは降りる細きあぜ道
2022-066:平凡 知る人は知る昭和なり本屋には週刊平凡月刊平凡
2022-067:密 まるで自虐のやうになんとも過密なる日程を組む連休の旅
2022-068:帝 神無月神に非ざる炎帝は何処に行く先見つけて去つた
2022-069:大事 とても大事なことは言はない約束は語られぬまま守られてをり
2022-070:儲 信者とふ言葉一文字に縮めればつまりさうなり儲かるらしい
2022-071:トルコ 青色のトルコ絨毯掲げられ路地裏の商店街にもクーポン
2022-072:遣 荒波に丹の色映えて遣唐使船は明石大門を越えた
2022-073:歪 見ぬはうがわかるか世界は情報が歪曲されたそれしかないなら
2022-074:荷物 フロントに荷物あづける行列の理由はさうクーポンの手続き説明
2022-075:償 絶妙のあたたかさもて冬の陽は寒風を償なふやうに射しをり
2022-076:睨 どの角度でも睨まれてゐるやうにほんとに見える掛け軸の虎
2022-077:与 知らぬ間に貸与期間は越えてゐて慌てて読み了へる図書館の本
2022-078:青春 イメージとちがふが誰でもできるわけではないことをするのも青春
2022-079:尋 さういふこともありさうな理由で盗まれた千尋といふ名の少女の名前
2022-080:疎 何となく疎遠になつた親戚のやうに最近見ぬ赤蜻蛉
2022-081:比喩 無論比喩、比喩ですともと念を押すうしろに実は潜む悪意は
2022-082:涼 涼しいといふ感覚は二た月も前に失せにき神無月の風
2022-083:ドレス 仕事ではドレスを着たることはなく遊びでも着たことは無かりき
2022-084:眺 眺望は過去のすべてと開設をされたる部屋にうつすらと明日
2022-085:浴 陽を浴びて伸びをしながら猫が行く寺の庭なりひがな陽を浴ぶ
2022-086:鮮明 鮮明に遺跡のかたち顕はされなほ隠さるる大事なことは
2022-087:堕 「堕落論」タイトルだけでやんなるが坂口安吾は文豪である
2022-088:耽 大きなる樹木に集ふ小鳥たち囀りに耽り季節は過ぎぬ
2022-089:赴 九州に赴任をしたる者どもの怒りしみじみ令和に積もる
2022-090:しぶき 打ち水のしぶききらめく観光の町の風情は江戸の香りす
2022-091:秩 秩序正しく、秩序正しく、あつ、政治家様、困りますつてば。秩序正しく!
2022-092:冷 冷しうどんを「ころ」と呼びたる土地柄に驚きし日を名古屋と呼べり
2022-093:無駄 無駄にした紙も時間をわたくしを決して無駄にはしてゐなかつた
2022-094:誓 手を置いて真摯に誓ふ台もなく聖書もなくて日本の法廷
2022-095:凄 暗渠にはきよとんと仔猫座りをり機嫌損なへば凄むらんこの仔
2022-096:飯 朝食に昨夜の残り物を出す残り物なれど鯛飯は美味し
2022-097:特別 特別な日のため設へる部屋のさあ散らかつた物を如何にす
2022-098:酔 酔狂な祭りに遭へば面白し誰にとつてもここは異国だ
2022-099:白 白き陽に揺れてかがよふ糸の内に小さな蜘蛛の食卓はあり
2022-100:翌 翌朝の目覚まし時計セットするかはりにスマホに打ち込む数字を
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「太陽の横」山木礼子歌集
http://tsukinokai.exblog.jp/241511886/
2022-06-25T07:45:00+09:00
2022-06-29T20:01:27+09:00
2022-06-25T07:45:28+09:00
HIROKO_OZAKI1
短歌と短歌論
働きながら二人の小さな子供を育てる。前半、これでもかこれでもか、と育児の歌が並ぶ。無論、作者の日常にとっての最重要事であるためだが、内容はうつくしいばかりのものではない。多くは、育児というこれまでの作者の経験からするとまったく異次元のものに突き当たった違和感と、行動や詩作などの精神活動が際限なく制限されていく女性である自分自身のいらだちを、日常の出来事に沿って詠っている。その日常の中には、温かな陽のまどろみに安住するどころか、わが子の怪我に立ち会ったり、子の頬を叩いてしまったりする自分自身が確かに存在する。総合誌からの依頼によって書かれたため、これだけの量がまとまったものであるらしく、ちょうど「日本死ね」のTWEETが話題になった時期にも重なる。私の子育ての時代には、子連れ出勤や大学の研究活動に充実した生活を送るアグネスチャンに対する林真理子等の感情的なバッシングが面白おかしく流行し、挨拶葉書に子供の写真があるのは嫌などといった話題が世の中に飛び交っていたことを思い出しながら読んだ。労働力や賃金の不十分さから、女性に働いてもらわなくてはならないためか、最近やっと「子どもなんとか庁」などという動きも活発になってきているが、どんなものなのだろうか。
逃げきれるとでも思つてゐるのあさゆふを車輪はまはるまはりて止まず
いつか詩になると信じてやり過ごす日々にシンクの泡は壊れて
小説を読まずに生きる一生は楽しからうよ草なども踏む
虐待が愛ではないと知つてゐてだから私はまだ大丈夫
帰る時間が自由に決められる暮らし わたしにはもう来ない暮らしよ
習ひ事なにもやりたくないきみが抱きしめてゐる裸のうさぎ
何歳で死ぬのと聞かれ百歳と答へたりまだ七十年も
とても年をとつた日の朝 ふたり子もすつかり年をとつてる朝に
「かしこい」つてほめ言葉ではなかつたんだ よかつたその木の名を知らなくて
どの星もごめんきみにはゆづれない 宇宙図鑑がかはりに届く
ひとりきり海辺の家に暮らすならだれにも使はせないトースター
ただ一人去りたるのみのこの星に行き場もあらぬさびしさが降る
歌集全体がよくできていると思ったのは、<子育て>に共感する読者以外を排除しないことである。(こんなに大変なら<子育て>はなくても可かな)と思ったり、(作者は詩が生まれる余地がないほどリア充なのも確かだけど作者にとっての価値は「詩」や創作や仕事にあるからかわいそうよね)と思ったり、(100歳まで生きる?自分もそう思うよ。あと70年もはないけどね。)とつぶやきたくなったり、(ほんま「日本死ね」やわ、なんとかせー)と怒ったり、様々な読み方がされるだろう。
仕事の歌もぽつぽつとあって、私はそちらの方に共感を持ちながら読んだ。
わたしには渡れない川 橋げたの下にシートで覆つた何か
二時に外し六時につけるコンタクト 呼ばれしやうになみだ出てくる
働くといふはひとつの終はりない物語されど詩からは遠い
通勤が週に一日まで減つて雨がふつても空は濡れない
半分に割られたままで過ごす午後 新たまねぎはよく光つてる
なんにんを愛してもいい掌で太陽の横に月を沈める
リアリスティックな現代の詩からいきなり異次元の世界に発想をとばすのもどうかと思うが、私は柿本人麻呂の
東(ひむかし)の野に炎(かぎろひ)の立つ見えてかへり見すれば月傾きぬ
を思い出している。風景が壮大でありながら、いくらでも深読みができるところがが好きな歌だが、もとの詩では、「月西渡る」であるのだという。月は傾いたり西に渡ったり沈められたり(沈んだのではない)なのだから、何か言いたくならない方が不思議なのである。
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希望のうた、不穏なうた
http://tsukinokai.exblog.jp/241478228/
2022-06-10T14:44:00+09:00
2022-06-10T14:46:23+09:00
2022-06-10T14:44:42+09:00
HIROKO_OZAKI1
短歌と短歌論
最近目にした短歌には、やはり戦争のことを無視してはいられない歌がいくつもあって、もちろん存在するすべての歌ではない(そんなことは誰にでも不可能)けれど、様々な歌を、いろいろな思いを抱きながら読んでいる。
そこで気づいたこと。いろいろな状況を詠みながら、現実のどこか不安を抑えきれない何かを詠う作品を最近いくつか見かけた。そうした感覚は、作者がうっすらと感じとったただけのものかもしれなくても、忘れないようにするべき感覚であるのだと思う。そして不穏な雰囲気が不穏な現実に変化しないよう、見届けていくべきなのだ。
月明の列島 ゐならぶ原発は戦からとほくしづもるいまは 紺野 万里
(はるかな友へ「うた新聞」2022年6月号)
安寧はわがめぐりにはあるとしてさて不穏なる時勢そろりと 鈴木 竹志
(歌集『聴雨』六花書林)
接種券がやがて食糧配給券に変わっても静かに並ぶのだろう 佐伯 裕子
(胸騒ぎ「歌壇」2022年4月号)
3首のうち最初の2首は、連作・歌集の最後に置かれている。いずれも読んだ時にぞくっとしたので、記憶のために、記しておく。
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ふたつの岡井隆論 -大辻隆弘と加藤治郎の講演から
http://tsukinokai.exblog.jp/241307148/
2021-12-10T21:04:00+09:00
2021-12-16T22:36:48+09:00
2021-12-16T21:33:40+09:00
HIROKO_OZAKI1
短歌と短歌論
2020年7月10日に亡くなった岡井隆さんの没一年を偲んでの開催であるという。
そのイベントの一環として7月4日に実施されたトークイベントは、当初、大辻隆弘、加藤治郎という二人の門下生の対談形式で計画されていたそうだが、新型コロナウィルス感染症対策に万全を期して開催される中、それぞれ、「岡井隆の歌集」(加藤)、「岡井隆の後ろ姿」(大辻)というテーマによって、独立した講演として語るという形で実施された。
内容は、それぞれ、書籍『岡井隆と現代短歌』(加藤治郎、令和3年7月10日刊、短歌研究社)の中の文章「岡井隆の歌業」、同人誌「レ・パピエ・シアンⅡ」の連載「戦後アララギを読む(147) 大辻隆弘」(「レ・パピエ・シアンⅡ」2021年7月号、令和3年7月15日発行。いずれ単行本になるであろうと思われる。)にまとめられ、ほぼ時を同じくして、文章としても発表されている。どちらも、岡井に対する深い思いと考察を改めて感じさせられる内容で、同時に、私の読みや知識の乏しさを痛感させられたことであった。
大辻のテーマは、当初「岡井隆の後ろ姿」となっていたため、逝去後の新聞記事の文章や過去の書籍に見られるような、歌会などで接した岡井の後ろ姿の寂しさ、といった内容を誰もが予想していたが、この日の話の内容は、「一昨日、岡井隆さんのお子さんから、岡井さんの初期の創作ノートを渡された」という前置きの下に、予定されていたものとはまったく違うものとなった。
岡井隆の初期創作ノート!、という驚愕するべき発見に聴衆が息をのむ中、大辻自身も興奮さめやらない様子で、そのノートに書かれていたという、岡井の初期の作品<灰黄の枝をひろぐる林みゆ亡びんとする愛恋ひとつ>の素描草稿から、アララギの「見ゆ」の用法の分析も交え、ちょうど現在大辻が探求を進めている対象でもあった福田節子周辺の歌ほかとあわせながら、その創作課程を明確に示した。すごいなあ。一語一句を、風景や人の心情の一景一景を、丹念に選び組み直す岡井さんの仕事も、それを解析する大辻さんもすごい。
一方で加藤は、岡井隆の歌集について、もはや『鵞卵亭』以前と以降でざっくりと分類するのではなく、時期ごとにきちんと分けて考えるべきである、と自らの意見を示し、「Ⅰ 前衛短歌期」「Ⅱ ライト・ヴァース期」「Ⅲ アノニム期」「Ⅳ 多様性期」として解説した。この分け方は今回の二葉館の展示でも採用されていて、歌集と当時の雑誌の記事などによって、岡井の歌の歩みが時系列で紹介されていたのも、わかりやすく興味深かった。我々の世代(私は大辻・加藤とほぼ同学年同世代である。)は、短歌の世界から一時不在となった後に『鵞卵亭』で復帰した岡井のその後の歩みの中の膨大な歌群を同時代的に共有する形で長いこと向き合ってきているから、実感の伴う分類であると思えた。そうか。岡井さんの歌集はそういう風に区切るとわかりやすいんだ。
新型コロナウィルス感染症にぴりぴりした雰囲気の中、講演後に聴衆席からも質問・意見が出された。
「<名古屋『未来』は岡井隆をうけ入れずその否(いな)ゆゑにわれは清しむ>という歌が気になっている」という質問。私もかなり気になっている。これは、今西久穂の『冬こそ阿修羅』に寄せられた歌でもあるけれども、かなりこわい作品。岡井隆のようでなくても、そういう自意識過剰的な思いを抱く機会があったとして、それを歌にするということはなかなかしにくいし思いつかないと思う。
「岡井隆の<前衛短歌期>の前に、<アララギ揺籃期>といった時期を入れてもよいのでは」(小塩卓哉氏)という意見。<灰黄の枝>の歌は、最初「アララギ」に掲載されたものなのだ。誰もが知っているのに忘れそうになりがちだが、岡井隆の歌は、アララギの写実から出発している。そういうことなのだな、とあらためて思うと同時に、そういうところには決して収まりきらなかった岡井隆を思う。斎藤茂吉のようでも土屋文明のようでもない。そしてそれをぼんやり見ている私にさえも、どうしたらよいのかな、と思い直す機会を提供してくれている。謝。そして禱。
<追記>
・この時のトークイベントの様子は、下記の中日新聞(2021年7月29日付)
の記事にも記されています。
「岡井隆さんの足跡たどる 没後1年、名古屋で歌人が催し」
・文化のみち二葉館では、2013年にも岡井隆展が開催されています。
文化のみち二葉館「岡井隆」
(文中、敬称が統一されていませんが、ご寛容ください。)
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西巻真歌集 『ダスビダーニャ』
http://tsukinokai.exblog.jp/241233528/
2021-10-09T18:55:00+09:00
2021-10-09T20:41:15+09:00
2021-10-09T18:55:25+09:00
HIROKO_OZAKI1
短歌と短歌論
聖夜ソヴィエト崩壊の日を思ひ出す人なしあかあかと鶏は燃ゆ
クリスマスの料理を前に、ソヴィエト崩壊の日を思い出す人がない、という。1980年代の、レーニン像が民衆に引き倒される画像は、同時代人ではなくてもどこかで見たことがあると思うが、その意味などは誰も思い出していないことを淡々と言う。崩壊したことが聖夜?ともとれるが、しらべがきれいな歌なので深く考えない方がよいのかもしれない。
弱者といへど左翼にはあらず深夜便告ぐるホームの電光を見き
弱者なのに制度に対する批判的な態度を持たない人々あるいは自分自身に対する何らかの思いが、深夜の列車のホームの風景と重なる。
そして思想は部活に変はり校庭の残菊の頸みな斬られたり
作者は学生時代に哲学・思想を学んだという。その以前の青少年に対する学校教育の制度の中で、若者に大きな影響を与えるであろう思想的なものが、部活というエネルギー発散の場に吸収されていったことを、教育現場の目撃者あるいは当事者として歌う。偏見かもしれないが、思想や哲学を学んだ者は、文学を学んだ者よりもより詩歌に近いところにいるような気が以前からしている。思想や哲学が思い切り人間のソフトの部分に近く、対峙した者の心により大きく触れるため、個人の精神に直に、人間としての悩みや社会や世界の存在についての疑問を訴えかけ想起せしめるためなのではないか、と勝手に思っている。
たましひの居場所は脳(なづき)、わが脳思へばくらやみに浮く鱗翅目
歌も文章もしっかりしており、外見的にもそんな感じには見えない(筆者も何度か接したことがあるが、ごく普通の好青年なのである)にも関わらず、作者は原因不明の、病名のつく心の病を病み、現在は福祉の支援を受けているという。そんな状況の中で、クラウドファンディングという形式で資金を集め、この歌集は出版された。
その状況下で歌われた作品は読んでいてつらくなるものもあるが、実は同じように心を病んで家に引きこもったり、なかなか社会に出て行けない(あるいは社会からの扱いにそのような態度を選ぶより他なかった)者はたくさんいる。そんな中で恋愛し結婚した相手の女性もまた、精神に障害を抱えているというが、絵画の才能に長けており、歌集の表紙絵と扉絵を、花山周子のデザインにより飾っている。
西巻は自分達の生活、心のありようを自ら堂々と表現することで、それらの人々が社会から見えなくされていることに対して抗議しているかのようでもあるが、そういうこととは別の話として、歌の仕上がりのよいものがたくさんあった。作者は歌を、奥さんの西巻真実さんは絵を、自分の表現の手段としてとても愛しているのだなと思った。二人いる情景は、はらはらしながら作者を見ている者を本当にほっとさせてくれる。
恋愛はいいね(うすぐらい雨のなかで)恋愛はとてもいいね(震える)
といった詩のような歌がとても好きだが、ただ、個人的な歌なので他者がどうこう言う問題ではないけれど、次の二首の表現は現代の感覚としてはどうかなあ、とちょっと引っかかるものがあった。個人的な問題でも二人以上になれば即社会的な問題に転嫁する。社会的弱者として存在させられるのは、一般的にまだまだ、男性よりも女性の方であると思うのだが、「知」と「情」、「妻を娶る」という何ともオーソドックスな言葉の選びには、あと一歩、慎重になってもらいたい気がした。作者が、ステレオタイプな古来の関係性の中に安らぎを見出している自分自身を発見しているというのであれば、なおさら、まだまだもっと表現の深さを要求されてもよい領域であると思われるのである。歌集のはじめのあたりの歌に、ご自身の家のことが語られていることともつながっているような印象も持った。
僕は知であなたは情で、ただふたりとも星を信じてゐる
妻を娶るとは春に見るゆめに似てうつすらと朝は瞼を開く
本当に、個人的なことだし、感覚に正直な表現であるとは思うのだけれども、私が一読者として読んでそのような第一印象と感想を持ったのも確かなので、覚えとして記した。
他、心に残った名歌を。
花の手紙を何度も読んでから燃やす、間違へて花として生きぬやう
生きよ、ただ行き延びよ泥沼に這ひつくばひて生きよ、そしてただ書け
たとへば雨が我のかたちを保つといふその感覚に佇みゐたり
夜の緑に家々の灯の点りゐて闇に濃淡があるを知りたり
音楽を聴くたび戦後はとほくなるもつと夢とか見せてよずつと
就労支援としての農業、わが貧はどこへも行かず麦揺れゐたり
奉職のなほ叶はざるわれのごとし獣類はみな檻に寝てゐる
生ききつた桜で埋まる街道はあしたのためのしづかな運河
人のゐる窓から順に点りゆくみなとみらいの大きな団地
西巻真歌集『ダスビダーニャ』は、下記のサイトから申し込むことができる。定価2,750円。
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BR賞 「現代短歌」2021年11月号
http://tsukinokai.exblog.jp/241210575/
2021-09-27T21:03:00+09:00
2021-10-02T21:23:51+09:00
2021-09-27T21:03:12+09:00
HIROKO_OZAKI1
短歌と短歌論
このBR賞に、今回私も応募させていただいており、雑誌の目次には出ていませんが、六篇の佳作のうちの一篇として全文掲載していただいています。
対象歌集は、荻原裕幸さんの『リリカル・アンドロイド』、タイトルは「ここはしづかな夏の外側」です。タイトルは荻原さんの短歌作品からつけさせていただき、参考文献として、岡井隆さんの歌集と加藤治郎さんの文章を引用させていただいています。『リリカル・アンドロイド』は、他にもお一方、予選通過の方が対象歌集として選んでみえて、歌集の魅力の大きさを思いました。
大都会以外では、あまり書店に置かれていない雑誌ですが、購読の申し込みはこちらからできます。
追記:BR賞受賞の書評の対象歌集『崖にて』は、現代短歌社賞受賞者である著者北山あさひさんという方の第一歌集です。今、このような働き方をしている状況の方はとてもたくさんいるはず。それでも歌集を出されているのだし、と思った途端に、現代短歌社賞の副賞が歌集の出版であることの重さを思わされました。『崖にて』も、上記の現代短歌社のHPから購入できます。
荻原裕幸さんの『リリカル・アンドロイド』は、書肆侃侃房刊ですので、そちらから。
来年はどんな歌集の評が集まるのかも、楽しみです。最近、新しい方の歌にはあまり触れていませんでしたが、新刊の歌集もどんどん読みたくなってきました。
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可算名詞と数について 大辻隆弘『景徳鎮』の歌から
http://tsukinokai.exblog.jp/241083154/
2021-07-09T23:47:00+09:00
2022-08-16T22:26:29+09:00
2021-07-09T23:47:16+09:00
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短歌と短歌論
2017年という年は岡井隆が様々な場に出て活動した最後の年で、未来夏の大会、中日文化センターの講演、未来の作品批評会などを最後に、2018年の新年会以降は、その姿を見ることができなくなった。
その文章で紹介されている歌集に、大辻隆弘の『景徳鎮』があった。この歌集が出る前くらいには私は発掘の現場に出向く仕事をしており、近隣の窯で焼かれた陶器や外来の磁器片が遺跡の中から狩り出だされるのをうきうきしながら見て体験していた。青磁、白磁の欠片などは本当に宝物のようで、「景徳鎮」が出たらすごいんだけどなあ、と話しているスタッフがいたりしたのが印象に残っているのだが、その後、まったく違う次元の場所で、歌集の『景徳鎮』が出た。
タイトルは、作者が名古屋にある「ノリタケの森」の博物館で見た景徳鎮から来ているが、景徳鎮は、北宋時代以降、中国陶磁器の代表的な産地の名であり、自身の位置をそのような場所に定置する作者の自信と矜持を思う。
その歌集の中で気になっているのが、家族の死に際して詠まれた「死について」という一連の歌。
2020年の岡井隆の「未来」誌発表の作品に、あるいは古く『土地よ痛みを負え』に、同じ「死について」というタイトルを付した一連があることに気づいた読者も多いことだろう。
むしろ他者とはほとんど死者のことなのだエマニュエル・レヴィナスにおいては
死は可算名詞ではない数ふるを許すことなき無音の広がり
いや死とは常に単数今ここにくたびれ果てて死んでゆく父の
わが父のひとつなる死と数限りなき者の死と軽重はあらず
類推をする他はない無数なる溺死も放射能被爆死も
家族を例としてみたなら誰にでもすぐ理解できるように、「死」は可算ではないのだ。連作にはレヴィナスの名があり、大辻隆弘の大学時代の専門分野でもあったようなので、歌人の思考に影響しているのかもしれない。
私は、この歌を読んで、段ボールの箱の下の方にしまい込んでいた詩集を引っ張り出したのだった。(整理のために処分してしまわなくて本当によかったと思った。)
シンボルスカ(1996年のノーベル賞受賞者)著『終わりと始まり』(ヴスワヴァ・シンボルスカ著、沼野充義訳・解説)。この詩集の解説で沼野は、「普遍のユートピアに抗して」というタイトルの下に、シンボルスカの詩集『大きな数』からの言葉を引いている。
この地上には四〇億の人々
でもわたしの想像力はいままでと同じ
大きな数がうまく扱えない
あいかわらず個々のものに感激する
この詩人は控えめに、<自分の領分はあくまでも「個々のもの」であって、普遍的なもの、一般的なものではないと主張している。>という。<これこそは、「普遍的なユートピア」に抗して、あくまでも個別の存在を見届けようとするシンボルスカの宣言と呼ぶべきものだろう>という。そして、同時代のポーランドの詩人ヘルベルトの詩を引く。あまり知られていないように思うし、私も忘れてしまいそうなので、孫引きになるが、作品と解説を記録として引いておく。
一二〇人の戦死者となると
地図の上に捜してみても無駄なこと
大きすぎる距離が
ジャングルのように彼らを覆う
想像力に訴えてこないのだ
あまりにも数が多すぎる
最後のゼロという数字が
彼らを抽象概念に変えてしまう
よく考えてみるべきこと ― 同情の算術
<シンボルスカとヘルベルトの考え方がほとんど一致しているのは、偶然ではないだろう。彼らはどちらも、全体主義的ユートピア的なイデオロギーの誘惑と戦ってきたのだから。東欧におけるユダヤ人大量虐殺の責任者の一人として悪名の高いアイヒマンは、何百万ともなるともはや人ではなく、統計にすぎないと言ったそうだが、シンボルスカやヘルベルトといった詩人たちの「個別のもの」を求める戦いとは、まさに、人間を抽象概念に変えてしまう「普遍性」「全体性」との戦いでもあった>
<以下、2022年8月16日追記>
ウクライナに関する最近の報道を見ながら、死者や負傷者の数が、多くの場面で端数で語られていることを思っている。具体的なひとりひとりがすべて判明している状態ではなくてもそのように語っていくことの意味。実務的には数値化しなくてはならないことが多い社会の中では、忘れがちなことだ。 最近、シンボルスカの新しい詩集『瞬間』(ヴィスワヴァ・シンボルスカ、未知谷、二〇二二年)の翻訳が出版されたので購入して読んだ。巻末には、2011年の東日本大震災に対する日本の被災者へのメッセージが付されている。 すべて すべて、というのは ― 厚かましく、うぬぼれで膨れ上がった言葉だ。 書くときは引用符でくくってやらなければ。 何ひとつ見逃さず 集めて抱え込み、取り込んで持っているふりをしている。 ところが実際には 暴風の切れ端にすぎない。
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文月に寄せて <覚えとして 山村暮鳥の詩「聖三稜玻璃」から>
http://tsukinokai.exblog.jp/241124299/
2021-07-01T00:00:00+09:00
2021-08-09T13:54:11+09:00
2021-08-09T13:54:11+09:00
HIROKO_OZAKI1
短歌と短歌論
天涯は梁木である
空はその梁木にかかる蜂の巣である
輝く空氣はその蜂の卵である。
Chandogya Upa. . .
こゝは天上で
粉雪がふつてゐる……
生きてゐる陰影
わたしは雪のなかに跪いて
その銀の手をなめてゐる。
藝語
窃盗金魚強盜喇叭恐喝胡弓賭博ねこ詐欺更紗涜職天鵞絨 びらうど 姦淫林檎傷害雲雀 ひばり 殺人ちゆりつぷ墮胎陰影騷擾ゆき放火まるめろ誘拐かすてえら。
手
みきはしろがねちる葉のきんかなしみの手をのべ木を搖 ゆす る一本の天 そら の手にくしんの秋の手。
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白井健康の瀬戸夏子論「リアリティを超えてゆくエクリチュール」に思ったこと
http://tsukinokai.exblog.jp/241017217/
2021-06-07T07:00:00+09:00
2021-06-19T16:48:16+09:00
2021-06-07T07:00:21+09:00
HIROKO_OZAKI1
読書
白井は、そのような詩歌に出会った際の<対処法>として、シュールレアリズム、イマージュといった文学理論を正面から扱って、「ことばとイマージュの連鎖」という観点からの読み解きを試みる。対象は、瀬戸夏子のテキスト。「彼女の詩歌をシュルレアリスムの概念に翳してみることにより、一つの鍵になるのではと考えた」という。なかなか面白くて、もしこれらの文学理論を習得することができたなら、他の詩歌の分析にも使えそうである。加藤治郎も、確か、大きな歌会で参加者の作品を評をする際に「自動筆記のように思える」と評していたことがあったと記憶している。
そこで気になってくるのが、「シュールレアリズム」の定義の引用の中で、あえて<男性名詞>と引用していることである。作者の挑発、ととるか、客観的な解説ととるか。この文章の書き手は、瀬戸の文学を正面から文学として扱う。チューリップの歌など、内容が<異議申し立て>的なこと挙げ以外の何物でもない作品についても、あくまで言葉の問題から読解を進める。<フェミニズム批評>の視点を使わなくても済むのであれば、それはその方が楽なのだが、言葉の問題だけでこれらの作品を語るのももったいないような気もする。
掲載誌である「Sister On a Water」という名称もまた、性別を持っている。ディープパープルの曲名 ’Smoke On a Water’ をもじった誌名、主体は ’Sister' であり、’On a Water’ は女歌の音とかけているという。まさかキリスト教のシスターというわけではないのだろうが、まあディープパープルの歌に出てくる 'mothers' 等とは印象は異にしている。清涼なイメージはあるものの、「男歌女歌」としてその性別による特徴がつまびらかである短歌が話題となった時代(私はこれは、恋愛や性愛が一般的な場に開放される過程におけるある種の国策によるものだったのではないかと疑っている)とは違い、ジェンダーがことごとく問題とされる現代では、この言葉自体に抵抗を感じる読者も多いであろうことが予想され、その記事がセクハラ的と問題にされたことも記憶に新しいのだが、そんな現代の女性の歌に照準を当てる意図があるのだとすれば、現代の女性の歌にフェミニズム的な視点や思いを含むものが多いことを無視できないのも現実なのである。かつて、女性の言説が男性のそれとはまったく違うものとして扱われていた時代を想起しながら、フェミニズム批評を使わずに論ずることができるのは、作歌瀬戸夏子の魅力のせいだろうか、と思ったことである。日本の女性の地位は世界では下から数えたほうが早い位置にあるが、昔の日本から比べたら、いくらかはよくなっているということなのだろうか。
話がずれてしまった。白井は、「言葉にいつか復讐されることを予感しながら、それでも瀬戸は言葉を裏切りながら記述し続ける」と述べ、滝口修造のオートマティスムエクリチュールについての言葉「こうしたテクスト―それはもうこれまでの詩のジャンルでもなく、小説のジャンルでもなくて、われわれの時代の不安と矛盾との曇りのない鏡の鏡像です」という言葉を引き、巻末の引用書籍文献の情報とあわせて、知的刺激にあふれる文章となっている。
蛇足だが、引用されている瀬戸夏子『かわいい海とかわいくない海end』の作品、
夕焼けと夜明けのあいだ折々にひたすら妖精をつぶすゆびさき
について、私は、「夏の夜の夢」(シェイクスピア)や「夢とおなじもの」(岡井隆)を想起したのだが、作者の意図がどうか、ということは別としてそのように共感して読んで楽しんではいけないのだろうか。
(蛇足の蛇足)
ところで、かつて岡井隆が、オートマティズムについて語っている文章をみつけたので、すこし引いてみる。
(60年代安保の時代の歌について)「僕はそのころ「オートマティズム」とかそういうことも一遍やってみようかなんてことを言ってはいたんですが、しばらく意識的に作っていくうちに、これはちょっと間違っているんじゃないか、文学っていうのはもっと無意識の…、自分の中に隠れている下意識とか深層意識とか、…それを言葉でキュッと捕まえるというのが、いいんじゃないか、と思うようになった。そうして書いていくうちにどんどん変わってきますね。はじめはこういう歌を作ろうと思っていたのに、どんどん変形していく。以前は変わっていくのはいけないんじゃないか、自分の意図とは違うんだから捨てるべきだ、と思っていました。しかしそうではなくて、」
「無意識と創造力-創作の現場から」対談より。
『俳句・深層のコスモロジー シリーズ俳句世界』雄山閣出版、平成9年7月25日刊。
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岡井隆と<原名古屋>
http://tsukinokai.exblog.jp/240997179/
2021-05-31T14:01:00+09:00
2022-08-15T20:01:46+09:00
2021-05-31T11:41:14+09:00
HIROKO_OZAKI1
短歌と短歌論
初期作品「序の歌」(1963「木曜詩信」、歌集『眼底紀行』所収)にあらわれる<原(ウア)名古屋>を岡井の風土的母郷と捉えて、そのモチーフである名古屋大空襲について検証しながら、「戦争の苛烈な攻撃の様子と少年岡井隆がうけた頬の傷の衝撃を描く。そして選歌をうけた名古屋を女性に見立て、外部から蹂躙される理不尽さへのこと挙げとなっている」(引用・注1)と述べたうえで、岡井の<原名古屋>に係る作品を、近年発行の歌集『暮れてゆくバッハ』(H29時点での最新歌集)までの膨大な歌集の中からいくつか引用されており、岡井隆と名古屋について考えるための入口としても、格好の文章であると言える。
岡井隆の「序の歌」から、下記に引いてみる。
(略)
柿の実の降る その後ろにはりついてかくれた
アカマンマのしげみの花の上の節穴だらけの
文字印の黒くかすれた板塀
塀はのびてくさり やがて空から焼かれた
幾千の人が死に もだえ 逃亡し
それが 名古屋戦争 と呼ばれようと呼ばれまいと
少年の頬に不朽の紋を打ち抜いたのは
そのたたかいのなかの一すじの走り火であった。
(略)
これはわたしの生活記録だといいたい
幻想旅行者をよそおおうとはおもわぬ
名古屋はそびえ わだかまるのだわたしの現在に 無名の非実在の聚楽として
城は坦々たる裾野の一点にかたよって立つ低いが鋭い一箇の帽針である
それが留めている 小さな湖の皺は
運河をつたって海へ消えるのだ
一九四四年末から四五年夏にかけて烈しい火の洗礼に立った坂と平野の町
おのずから街でなくなって行った 都市でなくなって行った
やさしげな旧いウアナゴヤよ
ナゴアブルグ
ナゴアンスタットよ
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ (引用・注2)
私は名古屋に住むようになって十年足らずだが、市内に多く現存する西洋風の近代建築はとても魅力的で、岡井隆が、ナゴアブルグ、ナゴアンスタットと表現した都市の風情は、折に触れてちょっと寄ったり、小旅行先として訪れて歩いたりするのに、格好の場所でもある。昭和初期の建物である鶴舞公園の名古屋公会堂や、明治期に建てられた噴水塔(名古屋の歌人加藤治郎の歌集の題名にもなっている)や、旧裁判所跡でもある大正時代のレンガ造の名古屋市市政資料館などは、最近ではコスプレの撮影や映画のロケなどにも使用されているようだ。
この6月と7月、岡井隆没一年を偲んで、「岡井隆の歌業」という企画展が、名古屋二葉館で開催されるという。
その会場である二葉館―ここは、岡井さんの家の界隈でもあり、岡井さんの家もちょうどこんな感じだったいうご本人のお話であった―が、日本の電力の発祥にまつわる福沢桃介のサロンであったことを改めて思っている。福沢桃介は、このサロンを拠点に、木曽川の水力発電を推進したのだという。
古典的な言葉で言えば「たそかれ」である時間帯でもある「灯ともしごろ」は、このような洋館でサロンが開かれる夕べの時刻でもあり、その際、当時最新であった水力発電による電力が使用されたということなのだ。(二葉館には、その建物の一角に、屋敷に灯をともす電力の配電に使用された当時最新の設備-ちょうど、古い映画「オズの魔法使い」のラストシーンに出てくるようなーが残されている。)そして、その電力を生み出す施設のために水底に沈んだ村も、全国にあったことだろう。
先日私は、岡井隆の歌集『眼底紀行』について、小さな勉強会(レヴューの会という未来岡井欄の有志の会、メンバーはその時々により変わりながら、現在に至っている)の追悼の会で自分の思いを少し話し、「詩客」の「現代詩時評」のサイトに拙い文章を書かせていただいたのだが、そこで見た「眼底紀行」の荒涼たる精神世界(この詩の中にはワクチンの話も出てきて、コロナに苦しめられている現在さらに興味深い)や、原子力発電についての岡井隆の歌については、「電力」をはじめとする科学技術への作者の思い、そこに連なる末裔の姿としての「原子力」ほかについてとらえなければならないのではないかと、感じ始めているのである。
【引用元】(西暦和暦は奥付のとおり)
(注1)「中部日本歌人会会報 第81号」p9-11、平成29年3月15日、中部日本歌人会発行
(注2)『眼底紀行』p120-122、1967年9月10日、思潮社刊
追記:
この文章は、「詩客」2021年5月29日号 http://shiika.sakura.ne.jp ◆リレー時評○自由詩時評<自由詩評 岡井隆欠落以降の「岡井隆」と現代短歌の中の現代詩、というラビリンス 小崎 ひろ子>の補遺として、覚えとして記しました。名古屋の建物他については、リンクや画像を準備する余裕がないこともあり、こちらではご紹介していません。気になる方は検索してみてください。なお、二葉館2013年春の岡井隆の展示については、ブログで紹介しています。https://tsukinokai.exblog.jp/17492825/
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額の花
http://tsukinokai.exblog.jp/241112071/
2021-04-10T00:00:00+09:00
2021-07-31T10:12:56+09:00
2021-07-31T10:12:56+09:00
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短歌と短歌論
岡井隆の歌集『家常茶飯』(二〇〇七年砂子屋書房)に収録されているこの歌の初出は、東京目白塩ノ屋で開かれていた超結社の歌会の場であった。
岡井隆を中心とする歌会は、各地の世話人と参加者を招いていくつも開かれていたが、この歌会は東京周辺の未来の若手会員を中心に、「首都の会」「新首都の会」「Ryuの会」と続いたものである。
手元のプリントによると、二〇〇五年六月二六日(日)開催の第四七回「首都の会」の参加者は、岡井を含む十三名。東京の会に限ってもすべての会に参加していたわけではないので厳密な検証はできないが、岡井の作品はこのような歌会に提出され、推敲を経て未来誌や歌集に掲載されることも多かった。この作品については、題詠「倒」による情報が外されてはいるが、歌はそのままの形で収録されている。
歌会は、事前に提出された作品(題詠と自由詠各一首)を無記名でプリントしたものが参加者に配られ、それぞれよいと思ったものに評を入れる形で進められる。主に票を入れた参加者が順番に評し、最後に作者が明かされる。この作品も、作者名が伏せられた形で数名が評を披露したのだが、その際、「額の花」について、額縁に入った花の絵、と読んだ参加者が数名いた。私は、前評者の解釈を覆さないよう慎重になりながら、「額の花は絵画かもしれないけれど、ガクアジサイと思ったが、違うのだろうか」と感想を述べた。実は、私が日常的に散歩道にしている自宅の周辺の遊歩道には、日本アジサイでもあるガクアジサイが植えられており、華やかな鞠状の西洋アジサイとはまた違う風情のその花は私の気に入りの植物でもあった。
作者が明かされて、岡井隆の歌であることがわかり、岡井は作者コメントとして、「ガクアジサイでしょう。これは俳人が大好きな花でね」と述べた。私の心の中に、暖かな光が射した。だがその後、何かの別の折に「最近の者は額の花がわからない、この間の会では誰もわかる人がいなかったのよ、誰も」と、この会のことをいらいらしたように語るのを聞いて、少し怖くなった。私はたまたまガクアジサイが好きで、前者に追随しながら付け足しのように発言しただけだったのである。
「額の花」は、鼻濁音を伴って開いた。かたい蕾の周囲にほろほろとはかない花弁をほころばせるガクアジサイ。その様子をあたかも人の発音のように描いた。額縁に収められる人物と捉えるのは変ではないし、歌には別の意味が隠されていることだってある。だが、岡井隆のこの厳しさは、他の様々な逸話からもうかがい知ることができる種類の厳しさなのだ。私には岡井の真意はとてもわからないが、記憶に残したい逸話の一つなのである。
(初出「うた新聞」(いりの舎)2021年4月号)
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こらぼ Ⅲ 岡井隆追悼号
http://tsukinokai.exblog.jp/240837521/
2021-02-13T21:03:00+09:00
2021-02-13T21:36:59+09:00
2021-02-13T21:03:11+09:00
HIROKO_OZAKI1
短歌と短歌論
その時々に、詩をつくりたくなったらつくり、自分で紙媒体のものをつくることに
したのでした。
第3号は、昨年7月にみまかった未来短歌会の岡井隆さんへの追悼号として、
昨年11月に、印刷して制作しました。
作品を掲載しているのは、主に岡井選歌欄出身の方で、ほぼ同年代の方々の、
昨年の夏ごろに作られた作品と言葉を集めています。
作品 桝屋善成、さいかち真、嶺野恵、和田晴美、青山みのり、尾崎弘子、
言葉(Twitterより) 荻原裕幸
総合誌等には、岡井隆追悼の特集が組まれていますが、岡井さんに対する
様々な思いを持ち、作品を作ることのできる歌人達が、岡井隆さんの周囲には
たくさんいます。
何かの会でお会いできた方々にお渡しするつもりでしたが、このコロナ渦で、
短歌の会等はほぼすべてが中止になってしまいました。
PDFを希望される方にはPDFを、三折りの表裏印刷のものを希望される方には、
郵送でお送りしますので、Twitter @hitoritsukimiru(鍵)にフォローリクエストを
していただくか、本人を知っている方はメール等、何らかの方法でお知らせください。
(画像は第2号。2018年6月、厭離庵での朗読会で読んだときの作品でつくりました。
写真は私。人物を写したのは主催者側の方ですが、本人のみの掲載号をアップしました。
画像不鮮明ですみません。こちらはPDFならお送りできます。無料。)
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ときどきは万葉集を読んでみるⅡ ~額田郡にんじん村は細き雨
http://tsukinokai.exblog.jp/240616400/
2020-10-06T18:49:00+09:00
2020-10-06T18:51:03+09:00
2020-10-06T18:49:38+09:00
HIROKO_OZAKI1
おでかけ
「熱田津尓 船乗世武登 月待者 潮毛可奈比沼 今者許藝乞菜」
直前の記事「ときどきは万葉集を読んでみる」で、岡井隆さんの講座の内容について少し触れた。
録音は禁止されていたし、厳密な講義記録をとっていたわけでもないのだけれども、引かれていた歌で印象に残っているものをもう少し記録しておく。
額田女王のこの歌については本当に様々な説があり、船乗りとはどういう状況の船乗りか、といったことがずいぶんと議論されている。
地元の愛媛県でも、「熱田津」がいったいどこであるのか、結論はでていないようである。
私は万葉集について内容について知りたい時には、大体、斎藤茂吉の『万葉秀歌』と土屋文明の『万葉集私注』を参照することにしているが、この歌については、土屋文明はかなり奇妙な解釈をしていることが知られていて、「船乗り」は舟遊びであるという。
温泉地近くの月夜の海べで、斉明天皇、額田女王などが遊興に興じて詠んだという解釈は、専門家からするとかなり無理があるらしい。
大体は、半島に戦に向かう際に詠まれた歌、とされていて、海に繰り出していく様相を示しているとしていて、確か近藤芳美も、ある年の未来の大会でそのように語っていたように思う。
未来の大会が松山で開催された時、私はレンタカーを借りてひとりで歴史博物館や海辺を巡りながら、熱田津のことを自分なりに調べたりして、未来誌の半段のコラムに記録として書いた。結論は、何が正しいのかはわからないということだったのだが、今思うととても楽しかった。
それで、岡井隆さんなのだけれど、この万葉集の講座で、この歌の解釈に関しては「ぼくは舟遊び説をとりたいなあ」とおっしゃられた。
私はちょっと驚いて、(え、いいんですか?土屋文明は万葉学者からは相手にされていないんですよ)などと内心思ったりしていたが、何せ歌っているのは額田女王
(あるいは斉明の代詠?)だし、いくら戦に向かっているからといって、本人たちが実際に戦に行くわけでもないし、温泉地で歌っているのだからそうなのかなあと思った。また、現代は平和な時代で平和な時代は続いてもらいたいと誰しもおもっているのだから、平和な情景に読んでそのように私たちも暮らしたらそれでよいのかもしれない、とも思った。
それで、ここから先はあまり書きたくないのだけれど、歌人の万葉歌解釈が荒唐無稽なのは知っているし、大人になってからの二度目の卒論で万葉集を取り上げたのもすでに数年前のことだし、ということで、ちょっともしかしたら??、ということを考え始めている。
この歌が、他の多くの万葉集の歌同様、「古思ほゆ」といった類の歌であるとしたら、どうなのだろうか。
斎藤茂吉は、「山上憶良の類聚歌林に拠ると、斉明天皇が舒明天皇の皇后であらせられた時一たび天皇と共に伊予の湯に御いでになられ、それから斉明天皇の九年に二たび伊予の湯に御いでになられて、往時を追懐遊ばされたとある。」と述べているから、万葉集の多くの歌と同様、その類の歌である可能性は非常に高い。奈良時代の時の権力者の編纂によるものだから解釈もいろいろと難しくなっているのかもしれないななどとも思う。
斎藤茂吉は、語句の用例や、名月が潮の満ち引きと呼応することを示し、古来の諸説を紹介する等さすが理系だなあと思ったりするのだが、とりあえず、私の思いはこのくらいにしておくことにする。
ところで、今年の中秋の名月は、比較的近所の熱田神宮にほど近い「白鳥(しろとり)公園」に出かけたのである。駅からは神宮の真っ暗な森を抜けるのが近道。西の門から出て少し歩くと、昔は入江でその後貯木場になっていたというこの場所にたどり着く。もう少し歩くと、東海道の宮宿から次の桑名宿に向かう道程(ここの一区間だけは陸路ではなくて海路なのだ)である「七里渡し」に至る。
満月と同時に潮が満ちた頃合いは、夜に灯りを得ることが難しかった時代には、船出にふさわしい時刻ということになり、潮にのった船は、近隣の桑名や伊勢や、もっと西のいろいろな地方(あるいは中央)に向かったことだろう。
今では国道一号線や街の灯りでずいぶんと明るい界隈だが、昔の森の静けさや闇の深さを思う。
熱田は、楊貴妃伝説(全国に小町の里があるのと同様、楊貴妃というのは無論固有名詞ではない。)と、ヤマトタケルの白鳥伝説とがあるなんとも不可思議な地。古墳や弥生時代の遺跡でも知られている。
また、山の方に向かえば、拳呂母(一字一音で「ころも」と読む。常陸国風土記には、機織職人は三河国から来た、とあるから、由来は確かだろう)、額田郡など、面白すぎる地名にたくさん出会うことができるのである。
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ときどきは万葉集を読んでみる
http://tsukinokai.exblog.jp/240576362/
2020-09-12T22:00:00+09:00
2020-09-19T23:22:28+09:00
2020-09-12T22:00:09+09:00
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読書
柿本人麻呂『万葉集』巻一 - 四八
「東野炎立所見而反見為者月西渡」
軽皇子の阿騎野への遊狩に同行した人麻呂が詠んだ壮大な天体現象。
斎藤茂吉は、『万葉秀歌』の中で、「「古へおもふに」などの句は無いが、全体としてそういう感情が奥にかくれているもののようである」と解している。同じ文章の中で茂吉は、「人麿は斯く見、斯く感じて、詠嘆し写生しているのであるが、それが即ち犯すべからざる大きな歌を得る所以となった。」と述べている。こういうことがきっと、アララギが提唱した写生の肝であるのかもしれない。
現代の科学はすばらしくて、この風景は、実際に十一月中旬の夜明け前と解析されるようだ。だがこの作品は、当時の政局や歴史の深淵さを否応なく、人々に思い起させる。当時の情勢を反映しているとか、万葉に生きる人々がその自分たちの時代よりももっと古い時代のことを思っている、といった鑑賞は、現代の読む者の誰もが納得できる解釈となっているが、背後にはしっかりしたその現実の風景があった、ということなのだ。「かぎろひ」や「かたぶきぬ」といった調べも、まったくのゆめまぼろしから生まれてきたものなどではない、ということなのだろう。
万葉集の歌群については、解釈によってどうとでも取れ、読者にとって好ましい解釈、時代をうまくコントロールするのに都合よい解釈が過去にも相当になされてきたことを思う。「海行かば」って何なのよ、といらいらしながら思う。最近の「万葉ポピュリズム批判」といった論も、国家が良いように古典を利用してきたその歴史と、現在の政治のおかしさのことを言っているのだろう。それ以上は、私には難しいのであまり書かないことにするけど。
そういうことを思いながら、故岡井隆さんが、万葉集のある講座(*注)で「万葉集を学んだあとで自分がどういう風に歌を詠むかが大事」と言われていたことをしみじみと思い出している。これまでの時代を通して、痛恨の歴史を共有し作り出してきた万葉集を、現代の人間がどう読んでどう詠むかということ、と私は思った。
この歌ではないけれども、柿本人麻呂の「ともしびの明石大門に入らむ日や漕ぎわかれなむ家のあたり見ず」の歌を引いて、「ぼくは自分の歌でこういう歌を詠みました」と、歌集『神の仕事場』から、ご自身の連作8首を紹介されていた。自分のつたない文字のメモを読み返してみると、その場所はみやこと野蛮な地域との境の地とのことだった。
いにしへの細身の舟が曲がりゆく漕ぎわかれなむ制度の没日(いりひ)
わが日々を退きゆく潮のとどろきの制度の間(あひ)にしづまりゆきぬ
実際の作歌の背景は定かではないけれども、人麻呂のかぎろひのの歌に関連して私が思っている岡井隆さんの歌は、むろんこの歌。太陽が沈む頃合いの空であろうと言われている。
蒼穹は蜜かたむけてゐたりけり時こそはわがしづけき伴侶
そして、
きのふよりをとつひが佳くさかのぼり行けば万葉の朝(あした)に出でむ
の朝とは、まさにこのような朝のことなのだろう。
例年、旧暦の11月である12月の中旬、人麻呂の歌の舞台となった奈良県の南、大宇陀町阿騎野の地では、「かぎろひを見る会」という、実際に人麻呂がみたであろう風景を体験する会が開かれているという。写真では、朝焼けのあざやかな紅が、東の空(この地の真東は伊勢の方角)に広がっている。参加したいと思うけれども、今年はきっとコロナウィルスの関連で中止になるのだろう。そう思うとますます見たくなってくるので、困ったものである。
*2010年9月25日・朝日カルチャーセンター公開講座「万葉集の女流歌人」
(2020年9月12日・19日 しるす)
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小川佳世子第三歌集 『ジューンベリー』
http://tsukinokai.exblog.jp/240492308/
2020-07-26T23:40:00+09:00
2020-07-28T22:29:43+09:00
2020-07-26T23:40:26+09:00
HIROKO_OZAKI1
短歌と短歌論
『ジューンベリー』は、小川佳世子の第3歌集。
略歴によると、1960年京都市生まれ、1999年未来短歌会入会、岡井隆に師事、とある。
第一歌集『水が見ていた』(2006)、第二歌集『ゆきふる』(2015)、それらと文章を集成した『現代短歌文庫小川佳世子歌集』(2018)に続く、四冊目の著作である。
歌集を読むとすぐにわかるのだが、難しい病を幼いころから持っており、一冊を通して病とともにある日常が描かれている。少しでも患った経験があれば部分的に共感はできても、なかなか想像することはできない日常。病の進退は、当然作者の最大の関心事でもあるだろう。
最初、作者が歌をはじめた契機もそこにあるのだろうか、と思ったのだが、読んでいるうちに、実はそういうわけでもないのではないだろうか、と思うようになった。
「病む前の私はいない」あとさきに白い木蓮灯っていたが
賞状より歩ける方がいいのにと一瞬思った 一瞬だけです
歩けたらあれもしようとおもうけどおそらくきっとやらないだろう
新春の老人ホームを見学す ライフコースは脱輪したまま
桜だと間違えてしまいびっくりだ角に灯った白木蓮よ
天安門広場で仕舞を舞った時回してくれた大きなビデオ
「夏祭り」終わりし次の日お習字の手本は「晩夏」ああそうなのか
「びっくりだ」といった語法にはこちらがびっくりしてしまったが、これはどういうことなのだろう。ライフコースという一般的な人生と違う場所にあるとはどういうことか。まだ60歳にも満たないのに、現実に老人ホームにいる。だが、作者は、病を得ていなくても、もしかしたら、そちらの側にいたかもしれない。(もちろん老人ホームに、ということではない。)その場合、作者の意識の対象も病以外のものになっていただろう。
点滴の針はなかなか入らへん身体は雨を待っているのに
歩行器を持ち上げてくれる手があって嵯峨野温泉カフェに薫風
点滴のしづくを雨と見立てる。暮らしの中での出来事が風に呼応する。
作者の父は厳格な人物であったらしい。歌集は転居と骨折の顛末から始まり、病みながらの転居に、骨折もしてしまう。「転居と骨折」「失敗の転居」と小題がつづく。引越は自分たちが決めたことであり、一連の中では「奥さま」と呼ばれたことにうれしさを覚えたりする。
昭和三年うまれで海軍七十七期島田修二氏に会わせたかりし
おそらくは思考停止の父が浴びた「反動小川を葬れ」のビラ
引っ越しも何でも自分で決めてしまう父は家族の国家になった
父が国家(国家は父を振り回し)片恋のままついに死にたり
著者の母はかつて、難しい京都の婚家から幼い著者を連れて逃げたという経歴があり、現在に至って母と一緒に老人ホームで暮らす歌には、その母との、今は平穏なだがともに要介護(支援)という状況下での関係がうたわれている。ここに作者のストーリーがくきやかに描き出される。母は娘の幸せ(ジューン・・もしかしたら平凡なブライドとお母さんという普通の幸せな人生)を願いつづけたことだろう。人生なのでむろん劇ではないが、劇的なのだ。
おばちゃんとお風呂に入った一歳児 母は私を育てなかった
町屋からままがいくども飛び出してわたしを抱いて走った仁和寺
宇和島と京都生まれのままとわれ京ことばとはいえへんわなあ
われと居て母の時折はしゃぐ時われに子のない時間のはるか
おたがいにいろいろあった後だからのんびりしよな老人ホームで
ちなみに著者の父は、著者が師とする岡井隆と同じ年齢であるといい、岡井隆氏についてであると思われる歌もある。
わたくしは五月三日は先生の回復をただ祈っていただけ
今になってつくづく沁みる病名は書くなと言ってくださったこと
先生の名を口に出すたましいと呼びたいもので温まるよう
え、とこれは、作歌や歌集をまとめる際の裏のお話なのでは、とうらやましくなってしまうけれども、岡井隆氏はこの7月10日に急逝されたばかりなので、追悼を兼ねて、一点暴露話を。
あるはずの次号予告に載ってないそういうふうなこともあったな
実際に何を歌われているのかは不詳だけれども、実はこの歌にぴったりの事件に思い当たることがあった。
小川さんと私ともうお一方で巻いた連歌を、未来誌に掲載していただく予定だったのが、直前にNGがかかって中止になってしまったのだ。連句と連歌の比較の試みだったが、連句は普通に掲載されたものの、両者の比較には至らなかった。「ちょっととめておいてね」と直接言われたのは岡井隆さんからだったが、理由は不明だった。企画のせいか、持っていきかたがよくなかったせいか、巻いていた歌仙の内容のせいか、別の理由か、お二人に本当に申し訳ないこと、と相当思い悩んだことだった。この歌の静かな歌いぶりにどきりとした。「そういうふうなこと」は、人生の中で結構存在することも少なからぬ人にとっての現実であるのかもしれない。そういう時は嘆いたり怒ったりするべきなのだろうか、どういう態度をとったらよいか、迷ってしまうのである。
青空にジューンベリーの花の白 今までのすべて号泣したい
「今までのすべて」という言葉が重いが、歌集の中では季節感のある作品が印象的でうつくしいものも多い。
ちょうど梅雨の頃の作品で、京都駅の駅舎に黒雲が写っている風景から始まる「黒南風、白南風」というちょっと奇妙な一連がある。南風(はえ)は、季語にもなっているが、主に山陰・中国地方で使われる言葉で、梅雨前の南風を黒南風、梅雨明後の明るい空に吹く南風を白南風というという。
こんな日の壁に黒雲漂わす京都駅ビル前に大勢
黒南風の中に入ったような日々雨が降ったら抜け出せますか
胸中に黒南風をまだ飼いながら真っ直ぐ雨に濡れている幹
ああひどい大雨だったいろいろな叫びの声も聞こえなかった
なんのライトアップだろうか黒南風の通った後の梢に光
白南風の訪れた日は道を行くみんなの体の中も白南風
白南風と心の中でつぶやけば京都の夏も蒸し暑くない
日常的に使用する言葉ではないので、ちょっと独特の印象(そう、京都なの。というような、柳田邦おっが「雪国の春」の中で述べた感想のような、ひがみっぽくなるけれどもそんな印象)も受ける。
京都特有の風?いや、もちろん人の心の中の話。そして外部に存在する大雨に、まがまがしい心の中の黒南風を追い払ってくれることを願うが、樹の幹は、胸中に黒南風を「まだ」飼ったまま雨に濡れているのだ。では雨に救いを求めることはできないのだろうか。作者は、祈りを込めている。梅雨明けには、心身ともに白南風のさわやかさが、みんなの中に生まれるようにと。白南風は、体の中に染み渡り、心で「白南風」と言葉にすれば、「京都の夏も蒸し暑くない」のだ。季節に沿ってあっさりと述べられているが、なんという祈りなのだろう。
この歌集が、作者のそして読者の心に白南風のようなからっとした風を起こすことに希望を託したいと思う。
ほかに、好きな歌。
ベランダで花火をすれば夏の夜に桜の枝は黄色く揺れる
もう枯れた、と思った中庭(パティオ)の木の葉っぱ金に輝くきっと彼女だ
クロアゲハは枯葉のように地をすべりもう日が落ちて月が明るい
枯庭の花は突然光りだす春の葉書が届いたからだ
みずうみに黄金の鍵の落ちる日は毎年ねむい春のことぶれ
(2020年7月26日しるす)
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