月の櫂 |
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http://www.itoen.co.jp/new-haiku/18/kasatoku03.php
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今年の一月に卒論を提出した。
題目は、「万葉集・高橋虫麻呂の筑波山に関する歌について」。 虫麻呂、常陸国風土記、藤原宇合、長屋王、検税使、節度使、万葉集、 自分が子供の頃には考えられなかったような考古学上の発見、充実した 博物館施設、復元された遺跡、衣裳うつくしい古代劇やドラマ・・・。 故郷である常陸国をあとにして、通信制の学生として在学する奈良大学の 近辺(というよりも奈良市内外や飛鳥、大阪、京都、といった関西文化圏全体 ということなのだが)を歩き回りながら、なんとも満ち足りた時間を過ごした。 だが、これを24時間、生活の主たるものとしてしまったとしたらどうなのだろう、 と考えることも多い。 現代人として生きている私には、土日にこの世界をのぞく程度が、ちょうど良い のだ。 卒論は、最初、虫麻呂の歌 今日の日にいかにかしかむ筑波嶺に昔の人の来けむその日も における「昔の人」考、というサブテーマを設定していた。 虫麻呂と筑波山の歌全般についてのまとめが主となったため、本論では 触れるにとどめたが、実は、その部分が最も気になっているのである。 「昔の人」とは、一体だれを指してのことなのか? <虫麻呂の少し前の時代に筑波に来た官人である>、<この歌が詠まれた 季節は夏なので、少し前の春のことである>、など、諸説様々なのだが、 第一線の学者たちが唱えるその諸説の唱えられ方が、どうも不自然なのだ。 私は、「昔の人」はそのまま「昔の人」、つまり、大和朝廷が日本を統一し始める その前の時代に、大和に、そして地方に来た人、と普通にとった。 それが事実であったかどうかは別として、いわゆる奈良平城京時代に編まれた 記紀・万葉・風土記の時代よりずっと昔の時代のこととして言い伝えられた時代の 人々であると考えるのが、どう考えても普通なのだ。 そして、歌人や研究者の不自然なんもの言いは、まさに、その古代への憧憬が、 明治から大正、戦前に至ってのナショナリズムに拍車をかけ、戦争に至らしめた ためなのではないか、と考えた。戦時中の日本の行為は、風土記や万葉の裏に 現れているひどい状況と如何に似ていたことか。 そして、「今日の日にいかにかしかむ」 とは、決して喜ばしい意味でのみ、 語られているわけではない。 昔の人の楽しさも、今日のその楽しさには及ばない、と一般的には解釈されるが、 それのみを述べているわけでは決してない。だって、時代そのものが決して楽しい ばかりの時代ではなかったのだから。 その真逆の意味のこともまた、含めていると思われ、つまり、 <今もいやなことがたくさんあるけれども、昔はもっとものすごかったのだ>、 ということをも含んでいる。 それは、虫麻呂がこの地方を詠んだ一連の作品に、「山に登って憂える」長歌が あることからもうかがえる。先行研究によれば、この登高歌は、国誉め、国見とは また違った詩歌的側面を持ち、それは、中国のその系譜の詩歌に連なるものと 捉えることができるという。もちろん中国だって、戦乱の連続であった。 中国詩歌の系譜といえば、古代日本においては『懐風草』である。 そこには、虫麻呂の庇護者であった藤原宇合と長屋王の感情的確執もしっかり 反映されている。 宇合は、風土記の執筆者または編纂者とも言われており、長屋王の変で王の邸 宅を率先して取り囲んだ人物。 長屋王の変によって、地方から徴用されて苦しんでいた男女の多くが開放された というのだから、ドラマチックすぎる。 だが、私は実は既に世の中にすれている。ここで、現代の政治家たちの群像を 思ってしまうのだ。あの人たちを見ていると、民族を同じくする当時の政治家たちが そんなに魅力的には見えなくなってくるから不思議である。なんだ、昔も今も何 やってるんだ、と思えてしまう。私の歴史へのロマンチシズムにはすっかり水を 差されてしまうのである。
ところで、虫麻呂のこの歌についてはずっと気になっていて、以前、「未来」誌が、 故郷にまつわる万葉集の歌についての文章を会員から集めて掲載した際にも、 この歌を選んで小エッセイを書かせていただいた。 万葉の時代に人々が集い、北への拠点としたこの地が、現在もまた、世界に 直結する第一線の研究学園都市として息づいていることに、私はこの歌そのまま の感動を覚えていたのである。 だが、その故郷も、東日本大震災によって痛手を負ってしまった。 原発事故の影響は大きく、子どもたちの健康な成長も危ぶまれるような状態。 卒論のあとがきに、私は、故郷へのレクイエムとして綴った、という文言を付して、 結びとした。
by HIROKO_OZAKI1
| 2014-02-01 23:23
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