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月の櫂

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最近読んだ歌集から 『鴨背ノ沖ノ石』 角田純

『鴨背ノ沖ノ石』 角田純 (不識書院・2013年9月発行)

2005年に発行された第一歌集 『海境』 につづく第二歌集。

いわゆる<現代短歌>は、ほんの数十年前にまでも戻れぬほどの素材と言葉の
変遷にさらされているのだ、なんて認識をしかけている時に、この歌集を開いて、
いや決してそういうことでもないのかもしれない、と、少しほっとしたような感覚を
覚えたのである。

マスコミに触れてばかりいると錯覚しがちだけれど、都会だけが日本ではない
ことは、地図を見てその面積を確認したならすぐにわかることだが、日本中に
存在する個人がそれぞれに歌う短歌は、時にそのことを実感として知らせて
くれるのだ。


 稜々とうねる海面のうなばらの蒼くし立つる冬の叢雲 
 鳥のこゑはふかく籠もりてひややけき藪にしづもる湿地の素水(さみづ)
 鳥発ちてやがてかがやく不在かな。―朧に見ゆる薄しら波
 ゑのころのそよぐ向かうのうなばらの蒼く霞める島影ふたつ
 野葡萄のその実のくろく末枯れたる邃(ふか)きなだりの朝のあま霧


旧仮名、旧字、選び抜かれた文語的な文字と正しい文法によって用いられる
古語によって描き出されるのは、おそらく昔から変わっていないであろう、
作者が暮らす土地の風景である。
それは、一首をものにするために一見さんのように自然の中に吟行にでかけて
作られたような類のものではなく、作者の存在と切り離せないものとして、深い
愛着とともに存在しているように見える。そして、対象を、うらっつらばかりでは
ないやり方で凝視して、作品に昇華している。
 
うすき玻璃ひかり洌たく還しをりゆふべ来てゐる鷲を映して
 沼川を跨ぎてふとき鋼管はかげを延ばしぬ朝のみなもに


そんな自然の風景の中に、つつましやかに出現する、<玻璃><鋼管>と
いった人工の景物。これを、近代の風景が自然の中に現れはじめた時期の
感動を追体験する形で読むことができてしまうというのは、今の時代、ちょっと
ぜいたくですごいことであるかもしれない。

 鷲がゐてあゆむ干潟のひそけさに。―化学工場調整池は
 ふかき深き闇のやうなる夕闇がワタクシノ舟ヲ蒼く濡ラシタ
 ヒトモトノ木デアリシ日の憂鬱ナ夕暮レガ来テ濃緑ノ舟ヲ


などは、整った歌群の中で読むならば、斬新な試みとして読むことができよう。
もちろん現代短歌の中では、まったく珍しい手法ではないのだが、時々そうした
歌が混じるのことで、落ち着きすぎた歌集のほどよいアクセントとなっている。

カタカナによる歌は、ひらがなとはまた違った効果があり、ずっとこのような
調子で歌集が進むのだろうか、と思い始める歌集中盤にこれらの歌群が入る
ことで、読者を飽きさせない。
歌の作りも冒険的だが、構成にも、工夫が凝らされているのである。

そんなノスタルジックな風景は、時に出来すぎなくらい、寂しかったり
うつくしかったりする。叙情と言ってしまってよいのかどうかわからない
のだが、定型の言葉が、本当に上手い。そして喩はひたすら、海辺の
事物に、多く関わっているのである。

 手放したものが彼方に消えてゆくもう此処よりは濁るほかなく
 ただ其処に無用の空をあらしめてうす闇に咲く雪の蘆群
 ふるき記憶が匂ふ夕ぐれ(モウ其処ニ帰ラナイツテ言ツテタ人ハ)
 にがきみづ振り撒くやうに降るひかり街のあくたの朝霜の上に 
 昨夜(よべ)遠く呼びいだしたる紅の舟。―鋭き軸先もちてたゆたふ 
 森ふかく舟を漕ぎ出す、しじまなる大禍時をさわだてながら
 舟といふほそき器は波の間にいざよひつつも渉りゆくかな
 わが古りし舟を浮かべて瀬を渉る青くさやけきあさの薄雲
 幾つものゆめの浅瀬にくるしんでゐるときそこに朝はきてゐた
 方舟のやうな廃墟があらはれてさびしく畢る薄明のゆめ
 過去(すぎゆき)はあはく滲みてあかときの汀の馬をほのか照らせり


歌集後半にみられる次の歌は、聖書等に連想を得た作品。

 かたちなき磐に形態(かたち)を与へゆくじかんの井戸の蒼き深水 
 かげをもて影を捉へよ移りゆく日射しは闌(た)けて粗き石組


歌集タイトルになっている歌は、

 海図には「鴨背ノ沖ノ石」と記されて鴨背の島の南南西に

なるほど、海図なのだ。作者の心象のダイレクトな表現とも見えるカタカナの
使用は、この海図というテキストにも用いられていたものであったのだ。
あとがきにも、ちゃんとそのことは説明されており、

  西行の『山家集』のなかに、「もののふの馴らすすさびはおびただし有磯の退り
 鴨の入れ首」という、この時代の王朝和歌にはない、即物的でたけだけしい歌が
 ある。北面の武士、佐藤義清が顔を覗かせている一首である。
  瀬戸内海、「鴨背島」という極めて小さな島があって、その島の南南西の方向、
 わずかばかりのところに「鴨背ノ沖ノ石」という暗礁がある。この、海図の上でしか
 確認できない隠れ者と、西行の歌のなかの「有磯の退り鴨の入れ首」が、いつの
 頃からか妙に親和するように思われだした。
  この集のなかに多く収められている、海をモチーフにした歌は、私の日常を取り
 まく身近な海景であるとともに、この「鴨背島」を含む、伊予灘から安芸灘にかけて
 の海域であって、また私の原風景でもある。

余計なことを少し。
角田さんは、2000年代に未来短歌会の会に参加されるようになったの
だが、同じ時期に参加された資延さんと二人、<壮年の男性が、しかも
あ岡井隆先生のカルチャー受講生から参画された>と大いに話題になった
のだった。第一歌集の出版記念批評会もお二方同時に開催されていた。

裏話になってしまうけれども、岡井先生は、編集会か何かの場で、
角田さんについて、「舟のね、ペンキを塗ったりしているんだって」と、
おそらくご本人の自己紹介そのままだったのだろうと思うのだけれど、
その場のご婦人がたに向かって、おっしゃられたのである。
本当に言葉のままに受け取った私は、あの大柄な男の人は、いつもは
四国の海辺で舟のペンキを塗ったりしている、船乗りさんか、漁師さんなの
だろうか、と、しばらくの間、本当にずっと思っていた。
舟に関わる職業として、造船かそのような会社の経営に携わってられると
人づてに知ったのは、松山で未来短歌会の夏の大会が開かれた頃のこと
である。なんて乏しい想像力であったかと自分であきれてしまう。
角田さんは、松山大会の実行委員会の主力メンバーとして、大活躍をされていた。

また、略歴によれば、現代美術、建築の分野にいらしたことがあったという
ことであった。

(2月11日しるす)
by HIROKO_OZAKI1 | 2014-02-08 19:16 | 読書
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