月の櫂 |
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http://www.itoen.co.jp/new-haiku/18/kasatoku03.php
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歌集を、送っていただいた時は、大体すぐに読み始めさせていただくのですが、
最後まで読み終えたり、途中になってしまったりしているうちに、印象だけで何かを 書いて送るということがしにくくて、そのままになってしまうことも多いのです。 お詫びの気持ちを込めて、しばらくの間、ここ1-2年の間に読ませていただいた 歌集一冊ずつの感想を、綴らせていただこうと思います。 歌集 『冬の秒針』 佐藤晶 (ながらみ書房、2012年8月発行 「井泉叢書12号」) 略歴によると、著者は、1970年神奈川生まれ。 中世文学を専門として、名古屋大学大学院後期課程を修了し、 職業も、京都の大学の研究教育職。井泉短歌会編集委員。 2013年7月に、名古屋市内で批評会が開かれている。 作者が専門家だからというわけではないけれども、ちょっと構えて、 インターネットで読める評を探してみた。 (もちろん、本当は活字になったものを検証しなくてはならないのだろう けれど。それをやっているとどんどん日記が遅くなるので。) ・松村正直氏のブログ「やさしい鮫日記」 http://matsutanka.seesaa.net/article/387139184.html 批評会の様子がわかる。ただ、このシリーズのブログは近々閲覧が できなくなり、別のところに移行するらしい。やはり紙による出版よりも 数段手軽なメディアには、いろいろ穴があるようだ。 また、ブログ内で記事を探すのが本当に大変だった。 松村氏には、「未来」誌で作品の評をいただき、かつて「ゾゾリゾーム」 という結社内同人誌で、私の第一歌集について書いていただいたこと があったので、根気よく探しながら読むことはできたようなものなのである。 ・砂子屋書房「日々のクオリア」一首鑑賞 棚木恒寿 http://www.sunagoya.com/tanka/?p=8919 春日井美学の影響について述べられている。 歌集序文によれば、お母様もまた中部短歌会同人であられたとのこと。 ・九大短歌会 http://kyudatanka.blog.fc2.com/blog-entry-25.html 「二人でいて」という小文の中で、 <さみしいといわないさくらさみしいといわないけやき 光のなかで> という歌がうつくしく採用されている。 (以下は引用ではなく筆者) 喩とは時に、人としての人格ををおとしめる意図をもって使われるが、 むろん通常はそういうことには気付かないし、評の際にも触れ得ない。 もし、人をおとしめる歌であった場合、その人には本当に失礼だし、 その背景には、その人自身の中に、深い傷が存在する場合があるから である。この歌の場合、さくらもけやきも作者の知人の誰かのことなどど ではないだろうけれど、万一そうだとしたら、さくらもけやきも、一緒くたに されたら、きっと嫌かなと思う。桜も欅も、なめるんじゃないわよ、と思うだろう。 そんな変な感想を持った。そのような、いやみな喩ととれそうでもある歌は、 女性歌人には珍しく(?)、歌集中にはそんなには見あたらないことに、 好感が持てた。 恐ろしい時代である(と私は思っている)中世についての知識を職業とする方、 という先入観を良い方に大きく裏切って、歌集は、あっさりした魅力のあふれる 現代女性の歌で満たされている。 次に、歌集を開いて、よいと思った歌、気になった歌、面白い歌をひいてみる。 ハイデッガーの<存在>語るきみのシャツは栄螺の内臓みたいにしましま たてかけた傘の取っ手の?(クエスチョン)今日は黙ってきみを見送る 「きみ」への相聞の中での喩のおもしろさがずば抜けていて、これはたのしい。 ?という記号の使い方。疑問符などと言わないのがよい。 やはりしあわせな情景を思わせるみずみずしい相聞歌はよいのである。 声挙げたものは省かれ しずけさの粒子となって雪はふりつむ どこにでもある情景であるが、想像するに大学という場でのことだろう。批判を歌に する場合、否定的に描いたとしても、提唱することで状況を助長し再生産する場合も あるから、本当に時代の先端を行く場合は、そういうことを歌にするのも、(確信犯 ではない限りにおいての話だが)、結構勇気がいることであるはずである。 銀細工の葡萄が腐食してゆくもあるいはわれらの滅びの兆し 環状高速まわりつづけて行く先をもたないままのわれらのスピード 共犯関係を誘う<われら>という人称。どちらもあわく共感でき、許容の範囲で あるためか、感情を逆なでしないところが上手い。現代人一般の不安感・閉塞感を 表現している。 そのほか。 ホームレス「ヨハネ」という名を与えられ葬られたり街の教会 とりあえず差し出してみるわたくしの利用価値など興味はないか エラー音ばかりの世界 だとしてももう脱出は不可能だから 木琴の音の澄みゆく秋がきてわれのさびしさコンと鳴らせり ビールの泡ぬぐいて語るネオナチの青少年の見分け方など 春風がふと向きをかえ本日のわたしはわたしの本物だろうか 内面にかかわりそうな話題には興味ないってふりが礼儀で テスト用紙配布する間も教卓の上でささやく冬の秒針 触れあえばその傷跡が残るだろう桃のようなるわれらのこころ よくみれば傷ばかりなる大木の幹に雪片触れて消えゆく しっているとわかるはちがうかたつむりやわらかき触角そっとのばして 博物館の土師器も須恵器も口あけて太古の空を呼んでいるらし (2013年2月しるす)
by HIROKO_OZAKI1
| 2014-02-08 17:57
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