月の櫂 |
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ぶどう色の夜明けの海は羞恥(はじらい)のように顫えいてまたわが眠る 金井秋彦
『金井秋彦歌集』(砂子屋書房、2013年7月15日初版)。 亡くなられて4年を経ての遺歌集であり、既刊の4冊の歌集にあわせて、 最近の歌がまとめられている。編集は、金井秋彦選科欄の渡辺良氏、 掲出歌を表題にする「ぶどう色の海」という追悼の文章が再掲という形で 載せられている。 巻末には、金井秋彦の「叙景歌について」という1本の評論(所収は1976年 刊の評論集『枝々の目覚めのために』)が編集者によって選ばれて収録されて いるのだが、これが、読み応えのある文章なのである。 断片的になってしまうけれども、心に残りそうな部分をすこし。 「主体の前に強いイメージとして立ち現れる風景を、如何に自己表出の 歌に孵化せしめるか。また自然草木の視覚的な写し絵が、思想や感情 のコミュニケーションの素材たり得るか。」 「短い形に収斂する歌のばあいはことにイメージ自体が曖昧になりやすい。 ことに歌という形の表現の美を成就するとき、視覚的なイメージは美意識と すれすれの危うさに立たされてしまう。」 「おのれが発光体ある」と叫ぶ伊藤静雄の強烈な自意識こそ、歌の核に ならねばならぬだろう。 かぎりなき蝶は育ちて日に夜に旱へむかう沢あるらしも 岡井隆 闘いは日常という思想さえあわあわと花 ひえびえと空 〃 などにおける岡井隆の歌の、危機意識と美の孕む危うさを思わずには いられない。」 「戦後の荒廃した都会の風景を絵画的な美しいイメージで描き、イメージ そのものの抒情をみごとに写し出した作家は、近藤芳美にほかならない。 ひといろに青みを帯びて咲く桜夕べとなりて見通す街に 近藤芳美 青色に曇れる空に立つ鳩の投げたる灰の如く飛び立つ 〃 芳美の風景は構図的に捉えられているだけにその非情の美を指摘され ている。描写を主体とした無相の文体のために、詠嘆の助詞「よ」の使用 が多い。新しいイメージの開拓者でもあった芳美の抒情の世界をこえて ゆくための詩的課題、それはイメージそのものの変革の方向である。」 歌集巻末には、他に、馬渕美奈子・渡辺良両氏の聞き手による聴聞記 (1999)と、岡井隆他による解説がある。 岡井隆の文章の、「アララギ(あるいは短歌)と家出人とがどこかで結び ついていたようにも思える」、という言葉は、さらりと語られていても、きっと、 ずっと重いものなのだろう。前衛短歌的、表現主義的、と呼ばれる方法も、 伝統が強い中では、大変なものだったに違いない。また、それらは、如何に 重いものであり、大変なことであったとしても、それのみによって歌人が語ら れるというような、そのようなものでもないのだろう。 ところで、この歌集のことが話題に上った、この7月のレヴューの会という会で、 メンバーの高石さんから、1冊の歌集をお借りしたのである。 『旅の対位法』 高石万千子歌集(雁書館、1982) この歌集の解説を、金井秋彦が、<左沢静男>の筆名で、執筆している。 言語表現において、ロゴスとパトスの葛藤をもっとも鋭く担わされている のは、定型の抒情詩である短歌なのだと、私は思う。伝統に磨かれた 修辞法にはおのずから規範が形づくられ、上句から下句へ渉る形を 踏むことによって、意味と感性は目出たく包摂しあう。 歌こそ、認識と情念の美しい対位法の紡ぎ出される世界なのだと言える のだろう。この作者が、はからずも<対位法>と名づけている意図の 一端もそこにあるに違いない。 制度より周縁へ「家」より空間へ帰りゆかなわれはあらたなる個へ 高石万千子 西欧の知を学び、血肉化して精神的な自立へと心を奮いおこしていった 経験は想像を出ないのだが、女の閲した歴史の厚みのようなものを 私は感じるのだ。おのれの内部に、おのれの自立した像を生かしてゆく ・・・その熱い願いが、作者の歌を孵らせ、<旅>の幻想空間という 形而上学を創出させたのに違いない。 観念の旅は円環性を辿るのであろうか。なお周縁に<存在>とは 何かを問いつづける杙を求めて、どの様な新しい観念の架橋を創り 出すのであろうか。旅を括弧にくくることによって、新しい島のような 避難所が現れるのだろうか。対幻想は夕ぐれの仄かな花明りの虚し い空間の翳であり、その虚無を実存へどう超えてゆくか。 ここに出てくるような言葉群も、なにか、今となってはなつかしいばかりと なってしまった気がするのが、ちょっとさみしい。歌集を手にして文章ばかり 引用するのも邪道かしらと思うのだが、覚えとして。
by HIROKO_OZAKI1
| 2013-07-21 15:03
| 短歌と短歌論
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