楽しい日常日誌 ~詩的否私的日常日記 ~

隠れblogにするつもりでしたが、<私的日常日記>にしました。でも、ネットの私的って,一体なんだ!? 
by HIROKO_OZAKI1
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少年がジャングルジムにうつ機関銃 谷川電話「恋人不死身説」

公園にジャングルジムがあり、親子連れや学校帰りの子どもたちで賑わっている。皆が楽しむ平和的な風景の中にその少年もいる。ごく普通に見えるその少年は、どういうわけか、機関銃(喩の中でも、一応おもちゃと捉えておこう。本物だったら、テロ行為である)を、ジャングルジムに向けて、撃ち始める。少年は、たぶん、ここで大人になってしまったのだ。

 僕たちのキスはやまない少年がジャングルジムに撃つ機関銃 

は、未来の彗星集のメンバーを中心に開かれた歌会である時に披露された作品で、歌集「恋人不死身説」にも含まれている。
作者の谷川電話は若い男性であり、歌集に表現されるその行動と意識を通して現代の若者(といっても画一的には語れないのだろうけれど)の、危うい精神状態が見えてくる。
恋人同士の風景としては、さほど異常なものではない(らしい)。だが、そうしたものを露わにしすぎることで、一読、身体的な拒否感を受ける読者がほとんどであることが、今日の批評会(2月10日、日本特殊陶業市民会館)での多くの発言でも証明されてしまったようだ。
この歌集に現れる表現が、客観的にも生理的に「気持ち悪い」ものであると多くの参加者が述べ、締めに語られた加藤治郎の「私は美しい歌集であると思う」という言葉が、奇妙に作者弁護のように響いてしまったのだ。
実際、美しい歌、みずみずしい相聞として優れた作品もたくさん服荒れていて、私は、

 好きじゃない仕事を辞めた恋人がキャンバス抱え「ただいま」と言う

など、幸福な雰囲気を持つ歌が好きである。この恋人の仕事は何だろう。まさか「仕事」が「恋人」ということではないだろう、結婚したら「ただいま」と言うようになるのかな、などと考え始めたら、ちょっと不思議な感覚になってくる。

ところで、いくつかの歌の第一印象が「気持ち悪い」ものであるとしたら、その原因は、純粋に生理的なもの以外に何かあるのかもしれない。

 ゴキブリがきみへと走るぼくからのラブを具現化させた感じに

作者は、自分の「ラブ」が、ゴキブリ的なものであるという自覚を表現する。その自覚は本人にとっても当然、好ましいものではないのだろう。あくまでも自己の「表現」であり、「態度」なのだが、もしそれが思想の表明でもあるなら、立派にそれは批判の対象となるべきものでもある。
作者は不器用であり生きにくいゆえに、自分のラブの具現はゴキブリであるとうたっていることは他の作品からも推測はできるわけだが、世の中そんな甘えがいつまでも許容されるというわけではない。意図的であるかどうかに関わらず、その行為や言葉が本当に直に相手に向かい相手を不快にさせるものであるなら、セクハラなのだよ君。大体の女性はマッチョは嫌いだしセクハラされるのも大嫌いなんだ。変態だから仕方ない、では済まないから、態度としては、ホント改めてもらいし、本人のためでもあると思ってしまう。
じゃあどうしたらいいんだろう。そんなことは私は知らない。できれば、「Love is wanting to be loved」(John Lennon 「LOVE」)など先人の作品を参考にして愛される歌をつくるなどは、一つの方法なのではないだろうかなどと思ってしまうばかりである。変な感想になってしまった。




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# by HIROKO_OZAKI1 | 2018-02-10 19:43 | 短歌と短歌論


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